ところで、ラビちゃんは「ゴスペル」ってどんな音楽か知ってる?
昔何があったの?
アメリカは元はイギリスやスペインなどの植民地でした。
話をさかのぼると
イギリスは繊維工業の発達により羊を盛んに育てていました
農地は牧草地に変わり、農家の皆さんが働く場所を失ってしまいました。
これじゃ生きていけん!という事でアメリカに渡。りました

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アメリカに渡った彼らの多くは土地を開拓するために多くの労働力が必要だった。とにかく労働力が必要だったそうです。
どっかにリーズナブルに手伝ってくれる人いないかなー!
あ、原住民みーつけ!……
はらへったし!仕事量多すぎ!
命守るために働くぞ
この時代人身売買や奴隷制度はビジネスとして成り立っていました。
その商品(人間)への扱いは大変なものです。
現代社会で言う「機械」のような扱いですね。
事例を上げればきりがないですが

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労働力を増やすために子どもを産ませるだけの女性
十分な栄養も与えられない過酷な労働を課せられる男性
物乞いをさせられる子供…..
奴隷をアフリカからアメリカに運ぶ奴隷貿易はその後「三角貿易」と呼ばれる巨大な利益を生み出す経済行為へと発展してきました。
アフリカ人には民族的な信仰が有りましたが、「使う側」であるヨーロッパ人が統制を取るために
「都合のいい解釈に歪められたキリスト教」を
無理やり信仰させました。
衣食住の保証で仕事ができる環境は神様からの贈り物だ
というように刷り込まれていくわけです
でもパピコ一族は怖いからうまい事あわせるしかないぞ。
宗教と言語の剥奪
そうだ!宗教と言語は禁止だニャ!
人格が失われていく!こうなったら救いを求めて歌うしかないぞ!
キリスト教会では、過酷な労働や扱いで疲れた心に「救い」を求めるべく、アフロアメリカ人たちが歌を口承し、伝えていったそうです。
アフリカ特有リズムや、音階と、ヨーロッパの讃美歌が融合してゴスペル(黒人霊歌)の原型ができ上がって行ったのでした。
黒人教会は当時充分な楽器を備え付けられなかったので
楽器なしの「アカペラ」「バーバーショップ」というスタイルで口承されていく場合もありました
まとめ
スピリチュアリズムと共に口承で広まっていった「ゴスペル」
1866年に創設された黒人学校の学生が、寄付を集める為に
様々な地域でスピリチュアルソングを演奏しました。
結構な反感があったようですが、少しづつ理解を得る形になります
彼らが口承していた「スピ&歌」の素晴らしさはアメリカやヨーロッパに広まって行き、現代のヒップホップやR&Bに発展していきます
黒人教会はアフロアメリカ人が自分のアイデンティティーを証明する大切な場所だったんだね。
そして自分の気持ちを歌や言葉を表現する事は、「生きている意味」とも大きく関係していると思うわ
自分らしく生きたい思いが歪んだ形になっただけの気がするなぁ
「今さえ良ければいい」「自分さえ良ければいい」ではなく
「ご縁/応援/貢献の精神」を少しでも取り入れていけると社会は変わるのかもしれないわね
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました